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柴崎義和(元稲倉棚田保存会会長)×稲倉の棚田

上田の北東に位置する「豊殿」(ほうでん)という地域。
その山の側に農林水産省日本の棚田百選に選ばれた「稲倉の棚田」がある。
今回はその棚田の保全活動を始めた柴崎義和さんに会いに行きました。

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そもそもの発祥がいつ頃なのか、その正確が記録はなく、はっきりしないのだという。でも土地の歴史は古く、かつて山城があったり、弘法様の民話があったり、古墳がいまも残っていたりと、人々にとって非常に意味のある場所であったことが伺える。

記憶の中の棚田

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棚田は、江戸(元禄)時代から明治の時代にかけて作られたという。
もともとこの地籍の人々は、米ではなく、ソバを主食としていたらしく、耕作していたところはもっと山の上にあった。
開田するには水が必要だったため、現在の土地まで下ってきた、という経緯があったらしい。

「この棚田は『稲倉』っていう名前をつけたけど、本当はそういう地籍はないんだよ。『稲倉』は、この田んぼの水源となる川がある山の名前なんだ」と語る柴崎さん。

柴崎さんはこの棚田が位置する集落よりもう少し下った“下郷”という地区に生まれ、小学生時代はよくこの棚田の畦を通って山の方まで燃料となる薪を拾いに行ったという。

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時代が高度成長の時期にさしかかると、国内の様々な地方では”集団就職”で多くの若者たちが東京をめざして故郷を去っていった。

「ここも同じ。」

時代の影響も重なり、農家の担い手となる若者は、ほとんど都会に出てしまい、土地も田んぼとしての姿を消してしまった。唯一、塞面(せぎめん)と呼ばれる集落の人たちが耕作を続けるだけであった。

記憶の中の棚田を復活させようと思ったのは、柴崎さんが50代にさしかかる頃であった。

地域のひとたちとともに

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「はじめは地域の人、誰にも理解してもらえなかった。余計なことをしてほしくない、という感じだったなあ。」

唯一耕作されていた塞面が日本の棚田百選に選ばれたものの、地区の人からは「田舎っぷりをアピールするだけだ」と言われ、随分叱られたそうだ。

この棚田を復活させようと思った頃は、田んぼには草が生い茂り、木が成長し、ほとんど元の姿は消え去り、とても人が入れるような状況ではなかった。上田市の農業委員会から47名に4年間かけて出動してもらった。

チェーンソー、草刈り機、あらゆる道具を使い、田んぼの形が出てくるまで草木を刈りとった。ようやく田んぼの形がみえてきたところで、重機を導入して木の根を掘り出す作業を行い、田植えができるような状態まで復活させるのは相当な苦労がいる作業だったという。

戦後、すっかり経済成長を遂げた日本社会では、第一次産業の担い手は少なくなる一方であった。

農家の両親の多くは「農家を継ぐのではなく、いい会社へ入れ」と、こども達に農業を継がせなかった。平地の耕作でさえ、担い手不足の中、棚田のような条件のところでは、とても家族が食べていけるだけの収入は得られない。

田んぼは勾配があるため、その傾斜の強い土手部分の草刈りをするにもひと苦労。土手部分は常に崩れやすく、そこの補修も年に何度も行わなければならない。「道」というものがないので、機械が入れるわけではなく、多くの作業が手作業によるものだ。

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それでも、この棚田を復活させようと思ったのは、「地域の財産だと思った」という。

地域の財産

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柴崎さんへのインタビュー中も、途切れることなく棚田に人が訪れていた。

地元の介護施設に通うご老人の方達、県外ナンバーの旅行客とみられるご家族、こども達が作った案山子を見に来る方や、東屋で読書している方など、皆それぞれに楽しんでいる方の姿が、とても温かくどこか懐かしい風景だ。

毎年初夏のころに開催される「ほたる祭り」では棚田の段々にロウソクがともされ、とても幻想的な夜を演出している。
取材時にちょうど行われていた「案山子祭り」では、地元の方達や小学生が作るユニークなかかしたちが、田畑をにぎやかに飾っていた。

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他にも、田んぼオーナーによる田植えのイベントや、県外の小学校や農業関係者の見学など、人が次々に訪れている。

日本の棚田百選に選ばれ、稲倉棚田保全会が立ち上がり、地域のみんなで復活させた棚田。今では「稲倉の棚田」は上田市の名所となっている。

この土地は、同時に県の“地滑り対策地帯”になっているらしく、行政との連携も欠かせない。今では中山間地整備事業としての認定も受け、人が来やすいように整備され、交流施設も新たにできて、更なる地域の財産としての活用が期待されている。

先人の思いを受け継ぐ

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柴崎さんに、棚田の魅力を改めて聞いてみた。

「棚田は何より、四季の変化に富んでいる。そして、先人の思いやりが溢れる所だ。先に続くこども達が飢えることがないように、という思いを込めて、先人たちがこうやって耕作していってくれた。その思いを受け継ぐことは、やっぱり地域の財産を受け継いでいくことである。」
 
と語る柴崎さん。

「いま、本当に幸せなことって何だろう?と改めて考えさせられる。
 経済成長することが良いことなのか。
 ひとの人情が通う様な暮らしが、もう一度復活できないものかねえ。」

棚田を守るということは、暮らしの文化を守ることにもつながる。
思いを受け継ぎ、知恵を受け継ぎ、いのちをつなぐ。

畦に生える草たちも、太古の昔から変わらない種類のものが多いのだという。
開発してこなかったからこそ守られるもの。
一度壊してしまうと、お金をかけても二度と手に入らないものがある。

(インタビュー・執筆:ナオイメグミ)
写真:直井保彦

Information
稲倉の棚田
長野県上田市殿城
上田市役所HP 稲倉の棚田

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